Nozablog.

日記とかエアガンとかパソコンとかゲームとか。

三沢航空科学館 その2

さて、前回に引き続き三沢航空科学館の写真なんかをべしべしと。
ちなみに事前に断っておくが、記事らしい記事は最小限に、説明の8割ぐらいは他所からの引用でまかなうあたりが俺式手抜きクオリティ。

前回紹介した飛行機は「大空ひろば」っていう公園内にあるんだが、三沢航空科学館はその大空ひろばと隣接した場所に建っている。航空科学館っていうだけあって、飛行機だけでなく子供向けの科学実験やらなんやらの展示に半分近くのスペースをとってたりする。大型送風機の前で飛行機の翼の形したビート板みたいのを手に持って揚力を直接体で感じたりとか、意外と大人も本気で楽しめる展示が多いので、こちらもおすすめ。

ザ・アエロプレーングラフィティー フロム三沢 [DVD]

ザ・アエロプレーングラフィティー フロム三沢 [DVD]

ミス・ビードル

日本からアメリカ本土までの最初の太平洋無着陸飛行に成功した飛行機*1のレプリカ。名前だけは以前から知ってはいたけど、詳細はぜんぜん知らなかった。

screenshot
ミス・ビードル号
ミス・ビードル号は、アメリカ・べランカ社製の単発5人乗りの旅客機の後部座席と機体底部を燃料タンクに改造して長距離飛行に備え、太平洋無着陸横断飛行に挑戦しました。
約3,600L=ドラム缶18本分の燃料を積んだ機体は、約1,800m滑走して地上を離れました。また離陸後、飛行中の空気抵抗を減らして燃料の節約をはかるために、車輪を切りはなせる構造になっていました。約41時間後、ワシントン州ウェナッチバレーに胴体着陸して、太平洋無着陸横断飛行を成し遂げました。
※公式サイトより引用(http://www.kokukagaku.jp/02_floormap/0203_aviation/a-02.html

奈良原式2号機

明治時代の国産飛行機との事。レプリカ。奈良原飛行団とか、知らなかったなぁ。きちんとwikiにも載ってる*2し、有名なんだろうな。ってか普通にライト兄弟かなんかの機体だと思って見てたわ。

screenshot
奈良原式2号機
奈良原式2号機は、奈良原三次によって設計された飛行機で、1911年に高度約4m、距離約60mを飛び、国産機による初の飛行に成功しました。その実物大復元模型を展示しています。奈良原三次が開設した奈良原飛行団には、青森出身の白戸栄之助がいました。
※公式サイトより引用(http://www.kokukagaku.jp/02_floormap/0203_aviation/a-06.html

きたかみ号

東北電力のヘリコプター「きたかみ号」実機。昔のヘリコプターって、形が独特で非常に興味深いね。初期のヘリコプターだからもっともっと機内は狭いものだと思ってたけど、意外にそこそこの広さな印象を受けた。まぁ狭いんだが。

screenshot
きたかみ号
ウエストランド・シコルスキー式S-51型ヘリコプターJA7014「きたかみ」号は、日本民間航空再開後の間もない 1953年(昭和28年)10月に、東北電力がヘリコプターの利用に着目し、他の電力会社に先駆けて英国ウエストランド航空会社から輸入したヘリコプターです。(当時の購入価格:3000万円)
※公式サイトより引用(http://www.kokukagaku.jp/02_floormap/0203_aviation/a-16.html

航研機

戦前の研究機のレプリカ。世界記録を目指していただけあって、古い機体とはいえスマートなデザイン。銀色の塗装がかっちょええね。

screenshot
航研機
航研機は、東京帝国大学航空研究所が、周回飛行距離の世界記録をめざして開発した飛行機です。岩本周平教授のもと、五戸町出身の木村秀政らが、1931年(昭和6年)に計画を始め、文部省の補助金を得て1937年(昭和12年)に完成させました。1938年(昭和13 年)5月13日午前4時55分、弘前市出身の藤田雄蔵少佐の操縦で、千葉県木更津飛行場を離陸。千葉県銚子、群馬県太田、神奈川県平塚を結ぶ一周 401.759kmのコースを29周して、周回航続距離世界記録11,651.011kmと、10,000kmコース速度世界記録186,197km/時の国際記録を樹立し、15日午後7時18分、滞空時間62時間22分49秒で木更津飛行場に帰着しました。
※公式サイトより引用(http://www.kokukagaku.jp/02_floormap/0203_aviation/a-05.html

ライトフライヤー号

言わずと知れたライト兄弟の飛行機。レプリカ。この機体のレプリカは、意外にいろんなところで目にする機会があったりする。新千歳空港とかにもなかったか?

screenshot
ライトフライヤー号 - Wikipedia
ライトフライヤー号(Wright Flyer)は、ライト兄弟が開発した飛行機。1903年12月17日にアメリカ合衆国 ノースカロライナ州キティホークにて初飛行に成功した。この飛行は、世界で初めての有人動力飛行である。
Wikipediaより引用(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E5%8F%B7

YS-11(のエンジン)

往年の名機YS-11も実機が一機まるごと展示してあったんだが、よりによってエンジンしか写真撮ってなかった。くそう。出張で以前何度か乗った機体だったので、非常に感慨深い。しみじみ。

screenshot
YS-11
第二次世界大戦後、日本は航空機の開発・製造・研究を禁止されていました。1952年(昭和27年)の解禁にともない、国産の旅客機を製造しようという気運が高まり、1957年(昭和32年)五戸町出身の木村秀政博士(当時、日本大学教授)を技術委員長とした(財)輸送機設計研究協会が設立されました。1958年(昭和33年)から本格的に設計を始め、1962年(昭和37年)試作1号機が初飛行し、1965年(昭和40 年)初の国産実用機として国内線に就航しました。その後、1973年(昭和48年)まで、182機が生産されて、アメリカをはじめ世界の航空会社に採用され好評を博しました。YS-11の名は、輸送機設計研究協会の輸送の「Y」、設計の「S」、エンジンと翼の設計で、それぞれ1番目の案を採用したことから「11」(いちいち)と命名されました。
※公式サイトより引用(http://www.kokukagaku.jp/02_floormap/0203_aviation/a-08.html

三菱 零式艦上戦闘機 52型

今回特別展示の零戦52型。入場料とは別に200円とられたりするんだが、普段なかなか目にすることのできないものなんで安いくらい。で、今回記事書きながら調べててわかったんだけど、これ映画の撮影なんかに使用された金属製の実寸レプリカらしいんよね。我ながら気づくの遅!でも雰囲気的にも十分で、満足です!




操縦席内。雰囲気十分ではあるが、よくよく近づいてみると計器のいくつかが手書きだったり。

しかしまぁ当然のことではあるんだが、当時の飛行機も今の飛行機も操縦席内部は基本的には変わらないんだなぁ、としみじみ。

「ここから写真を撮るとベストショットがとれます!」的な張り紙のそばに脚立がおいてあったんで、せっかくなんで一枚。
ちなみにこの零式が展示されているフロアにはさまざまな資料や写真なんかも一緒に展示されている。特に、「烈風」「連山」あたりの写真なんかも展示されてて、非常に興味深かった。


これらの飛行機以外にも常設展示としていくつかの飛行機が展示されていたんだが、写真とってこなかったので割愛。詳細は公式サイト*3で!(丸投げ)
正直今回行くまでこの航空科学館というものの存在自体知らなかったわけだが、航空ひろばも含めて十二分に楽しめて大満足。前述の科学実験の展示物も、実際に乗ったり触ったり体験できるものがほとんどで大人でも楽しめる*4。県内在住の方、または近くまで足をはこばれた方はぜひ一度立ち寄ることをお勧めする!

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB%E5%8F%B7

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%8E%9F%E4%B8%89%E6%AC%A1

*3:http://www.kokukagaku.jp/

*4:余談だが、物質の密度を知ろう!ってコーナーで純金の塊を直接持つことができるんだが、恥ずかしながら金塊を持ち上げるって生まれてはじめての経験だったんで興奮してしまったw